頑張ろう、今は攻めの姿勢を忘れるな・・・と自分に言い聞かせるたびに

どうも逆効果になっている気がする。ここ数年、正直考えてる暇があったら

動けと自分にムチ打って文字通り体力の続く限り、体の動く限り走り回って

きて、久々自分のテリトリーに戻ってきたのだけど、焦る気持ちは募れど、

なんだか心はまだ春がやってこないようで、目を閉じてじっくり熟考して

いるようで、頭と心がどうもバラバラで、体もどう動いてよいのやら・・・

そんな感じなのかもしれない。


色々書いて整理をしよう・・・と思うのだけど、今はいったいどこから書いて

よいものか、これは書いていいんだろうかなんて悩んでしまう始末で・・・

書いて自分の本心と向き合うことを続けてきた僕としては、僕の本心と

対話する方法も今は別の角度から模索しなければいけないような感じ

で、我ながらこりゃ困ったもんだというしかない状況だったりする。


今年はガムシャラにやらなきゃいけない年。

いや、ガムシャラにやろう、そうしなきゃどこか小さくまとまろうと

考えてしまう気がして、絶対に後悔するって感じたからこそ、

そう自分に言い聞かせてきた。


今まで体力というものだけには自信があった。

どんなに疲れても、体力はあるから気力で乗り切れる。

メンタル的に疲れ果てても、戦い続けることができたのは

自分自身の体力には絶対的な自信を持っていたから。


確かに能力的には劣る部分がたくさんある。

でも、僕自身はそれを時間をかけて努力を積み重ねることで

カバーしていこう、それが僕にできることなんだといつも考えて

いた・・・けれども昨年はその自信を完全に失う年になった。


恐れていたけれども、現実は受け入れなきゃいけない。

いつしかこんな時がくるということは分かっていたのだから。


この自信を失うことで、心は僕に問いかけてきた。

安定と挑戦、どちらを選ぶんだい、って。


本当はバランスよく両立できればいいのだけど、

僕には残念ながらまだこのバランス感覚がいささか

かけてしまう部分がある。というか、自然と何事にも

全力投球してしまう馬鹿なので、このバランス感覚

というのはもっと学ばなきゃいけない分野なんだね。


でも、いざひとりで色々と考えていると悩みは深まった。

確かに第三者的視点で、その場所に必要な仕組みや

必要なきっかけや手助けを見出して、生徒や引き受けた

企業が成長する上で自然と受け入れられるように絶妙な

感覚で種を植えたり、水をやったり、見えない角度から

暖かい風を吹かせることはできるんだ。


でも、自分自身にそれができているかと言えば・・・

やはりできていない。人間として欠落している部分や

能力的に不足している部分を成長させるために何を

してきたんだと言えば、すべてが不十分で中途半端。

そんな僕に周りの人がいうような価値はあるのだろうか

と半ば葛藤に近いものが生まれてしまった。


自分で自分という人間を認められるようになった、

と思っていたのだけど自分に価値があると言われても

素直に頷けない自分にはまだどこか屈折したままの

心のレンズが何枚もあるってことなんだろう。



ただ、屈折したレンズを取り換えようと思うんじゃなくて、

この屈折したレンズをうまく使って心が前向きに言葉を

綴りだす時間を生み出す方法を考えよう、そんな風に

自分という人間を否定するのではなくいいところも悪い

ところも理解してプラスに作用させる方法を考えよう

としている自分もいる。そう、僕が僕らしく生きようと

すれば僕らしい歩き方とバランス感覚を見つけるしか

ないんだからってね。



少し時間はかかるかもしれないけれど、焦る気持ちを

抑えつつ、心が前向きに動き出せるように色々と働き

かけながら自然とガムシャラを取り戻すのを待つしか

ないのかな~。